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“西郷どん”の歌

dav

店で食事をしていたら窓越しに声がかかった。
幼なじみ、当時は上級生も下級生も一緒に群れ遊んでいたから、年は離れているけれど幼なじみである。
「良いところで」
「お久しぶりで」
「尋ねたいことが」
こどもの頃、遊びながら歌っていた詞を思い出そうとしている、とのこと。
「いちかけ、にかけ さんかけて……」
「ああ、おじゃみ(お手玉)のときの?」
あの歌に西郷隆盛が出てこなかったか?テレビで”西郷どん”を見ていてふと思い出して……。
♪明治十年戦役に~と歌っていたが、あれは西南戦争のことでは?
「たしか、西郷隆盛の名前も出てくるはず」
思い起こしながら繰り返し歌ってみる。
あった。
♪わたしは西郷隆盛の娘、のくだりもあった。
半世紀、いや60年も前、山河遥かな山里の小学生たちがお手玉をしながら”西郷どん”のことを歌っていた。
西郷隆盛は誰?と親やおとなに尋ねなかったのだろうか?
ただ、お手玉をしながら西南戦争を歌っていた。
歌詞は長く、詞の終わりまでお手玉を続けていることは難しかった。
歌詞の終わりの合図、ドン! までお手玉を落とさずに続けることができたら誇らしかった。
老女二人で声をひそめながら歌いあって、胸のつかえがほどけたような気もしたけれど、正しく歌詞を思い出せたかどうか、定かではない。
またしてもモヤモヤしている。

モヤモヤ

dav

ホッチキスが無い。ハサミが無い。
他に誰もいない。無くしたのは自分である。
ついさっき手にしたものがなぜ見つからぬ。
焦るままにもうひとつのホッチキスを取り出そうとしたら、ちゃんと元の場所に納まっていたりする。
時間がたっているときは、自分の行動を思い出してみる。歩いた跡をなぞってみる。
もしかトイレの棚か?とのぞいてみる。
小さなハサミひとつ無くても困りはしないが、思い出せない自分が腹立たしい。
あった、やっぱりここだった、と喜び安堵するときもあれば、日を経て、なぜここに?というときもある。
いまだに見つからぬモノたちもある。
今、気になっているのは、本の中の数行の文章。
そうだ、そのとおり、と思って読み進んだ。
後日、ふと思い出そうとしたが、ことばのひとかけらも思い出せない。
正月前に3週間の期間で借り出した9冊の本の中の文章だった。
あれかこれかとページを繰るが、本のタイトルも思い出せない。
返却日が迫っている。
モヤモヤしている。