月別アーカイブ: 2015年7月

早朝ライヴ

まだ暗闇の中、4時30分に始まったコーラスは、だんだんと渦を巻くように、うねるように、高く低くわたしを取り囲む。
夏の朝、恒例、ヒグラシ合唱団の発表会というか、合宿猛練習というか…。
一匹、二匹はわが家の壁にでも張り付いているのか、格段に声が大きい。
高らかに声を張り上げてはしばらく休み、また仲間の大合唱に促されるように、あるいは、リードするように歌い上げる。
ゆっくりと闇が薄まり、木立の形が表れ始める。
およそ30分続いたヒグラシ蝉の大合唱。もう持ち時間はたっぷりと歌い上げたと声を納め始めると、ニイニイ、シーシーと低音の蝉たちの出番である。
真夏の朝、林の中で連日のライヴである。

ひいばあちゃん

「ひいばあ大好き」、隣家のことちゃんがしばしば口にする。
かわいい女の子たちの絵を描いた中の一人は、ひいばあである。
ひいばあは99歳である。
ことちゃんは、この夏休みにもひいばあの暮らす神戸へと行った。高層マンションのひいばあの部屋からは海が見えるそうだ。
滞在中、ことちゃんは海へも行かず、神戸のにぎやかな街へ買い物にも出ないで、ひいばあのそばにいる。
にこにこと優しいひいばあとお話をしたり、絵を描いて過ごす。
99歳と9歳のひとときを思い浮かべると、胸があったか~くなる。

うれしい日

還暦は過ぎたが古稀ではない。喜寿までは遠い。
69歳である。節目の年齢でもない。祝うほどでもない。
花束をいただいた。カラフルなゴムで編んだブレスレットをいただいた。小さな手、細い指で編んでいる情景を思い浮かべる。
ピンク、赤、黄色のふわふわの紙で作ったお花をいただいた。6輪あるのは教室の女の子の人数といっしょ。かわいい顔がそろっている。
花びんにはまん丸顔の女の子の絵。もしかしたら、わたしのことを描いてくれたのかなあ?
お手紙もいただいた。作文教室のこどもたちからの手紙。
うれしい。うれしい。こんなに幸せな誕生日のことを書かずにはいられない。

モーニング

「モーニング行こう」と誘いの電話がかかる。「行こう、行こう」ともう一人に電話をする。
今日は都合が悪い、も、ちょっと待っても無い。即決、即行動である。
黒い大きな車がやって来た。助手席にすでになかまが座っている。
地元小学校の同級生である。
ふるさとを離れて幾十年ぶりに戻って以来、「何してる~?」、「元気か~?」、「モーニング行こう!」などと声をかけてくれる。
号令をかけるのも、連絡を回すのも、出掛ける準備も、いたって速いのだけれど、さて、車を降りる段になるとちょっとやっかいである。
二人は愛用の杖をつき、わたしは雨傘に頼る。このところ脚の具合が悪い。
三人ともに口は達者である。
というか、耳に手を当て身を乗り出して聴くこともある。
聴覚が衰え、記憶力もおぼつかない。ついつい、我がちの元気な大声の喋りあいになる。
脚も耳もヨロヨロともなれば、せめて口は達者に…などと勝手な言い分。
店内のみなさん、騒がしくて申しわけございませんでした。

山桃

赤いのや赤黒いのや黄色い実が地面に散乱している。今年は特におびただしい。
公園というか、国道の脇に2、3台分の駐車スペースがあって、そこに山桃の木が植えられている。
地面いっぱいに落ちた実は、踏んづければズルリと滑る。
熟れて枝を離れた実も有れば、鳥たちがついばみながら枝を揺らすので落ちてしまった実も有るようだ。
鳩ほどか?もう少し小さな鳥たちが、山桃の木のこんもりと繁る葉陰にしきりに出たり入ったりしている。
わが家の裏の林には山桃の木は見当たらない。
向かいの地にこんもりと繁る木が山桃だと気づいたのは、一昨年あたりのこと。
実が色づいて落ちる頃になっても、気に留める人は無さそうだった。
山桃のジャムを作りたいな~。でも、公園の木だしな~。
一昨年も昨年も、色づき、落ちるのをただ眺めるだけだった。
今年は、繁みに出入りする鳥たちの声が一段と騒がしく、落ちた実もびっしりと敷き詰めたようだ。
鳥たちの食べる何十分の一か…、少しだけいただこう、と意を決して実を摘ませていただいた。
縄張りを侵すな、とでも言うように、騒がしく慌ただしく、鳥たちが繁みを出入りしては鳴き声をあげる。
少しだけ、少しだけとつぶやきながら山桃の実を摘んだ。
小さなビンに、赤くてとろりとしたジャムができた。
種をとりはずしにくかったので、種があるまま煮込んだ。
ジャムを口に含んで、種をペッと吐き出している。
できました―、と人さまに差し上げにくいジャムである。