月別アーカイブ: 2014年10月

干し柿

高齢の知人は3年ほど前から都会で暮らしている。当初は山里と街とを身軽に往き来していたが、足腰が弱くなって、ふるさとへの足が遠のいた。
ときおり、ふるさとの季節便りを届けると、「帰りたいなー」という声が返ってくる。
この山里に暮らしていた頃は、毎年、数百個もの渋柿の皮を剥いて干し柿を作っていたので、マンションのベランダに一筋、干し柿の縄がさがっていれば楽しいのではないか、と十数個の渋柿を箱に詰めて送った。
半月もたって、都会のベランダの干し柿はどんな仕上がり具合だろうか、と尋ねた。
吊るすための縄も用意して、皮を剥こう、干そうと思っていたのだけれど…、干し柿は作らなかった。口ごもりながらの返事であった。
青空の下、集落を取り囲む山々にパッチワークのように広がる紅葉景色。大きな屋根の軒下に、ズラリ何連もの柿の縄を吊り下げてこそ、知人にとっての秋の風景であったのだろう。
いらぬおせっかいをしたことを悔やんでいる。

ふるさとを離れていた頃、ふるさとの秋を思えば、青空の下、そびえる古木に実る柿が陽に照り輝いている風景が浮かんだ。
小さな集落のどの家にも、家の横、裏、あるいは前の畑の畔にも、きっと柿の木があった。クボ柿と呼ばれた小さな甘柿である。
あの頃―、柿は見上げる高さに実をつけていて、背伸びをしても届かなかった。手の届くところにあるのはおいしくない、とおとなは言う。
長い竹竿をさしのべて、柿の実のついている小枝を絡めてひねりとる。専用の道具が作ってあった。
高~いところの柿は、太陽をいっぱいに浴びて、いかにもおいしそうに輝いている。
取りたいけれど、長い竹竿は重い。ユラユラ揺れて、めざす柿の実にうまく届かない。
ようやく竿の先に引っ掛かっても、ソロリソロリと竿を下ろす途中で実は落下、地面にぶつかってグシャリ。
身が軽かった頃は柿の木に登った。
手でもぎ取った柿を枝に腰かけて、種を吐き散らしながら、いくつもいくつも食べた。
集落には店など一軒も無かった。
秋は、蒸かしたさつま芋や栗、柿がおやつであった。

今年は柿が豊作である。
びっしりと実を付けた枝が重みで地面に届きそうになっている。
豊作過ぎて実はさらに小粒である。
しゃがんでも取れる柿の実は、ありがたみが少ないような気がするけれど、かじってみると甘かった。
干し柿用の渋柿は収穫され軒下に吊るされている。昔も今も変わらぬ景色であるが、竿を揺らしながら小さなクボ柿取りに興じている情景はさっぱり見ない。
柿の木に登っているこどももいない。

あれが無い。これも無い。

ジャムの容器の蓋が無い。今年も徳島の知人から届いたスダチで作ったジャムの蓋が無い。
冷蔵庫から取り出したら蓋が無かった。
朝食のあと、蓋をしないまま冷蔵庫へ入れたのか?
食卓には蓋は残ってない。
蓋がゆるくて、冷蔵庫内に落ちたのか?
どこへ行った?
容器は高価なものではない。おしゃれなものでもない。
同じものが予備にある。他にも大小の容器がある。
けれど、蓋が無いことが気に入らぬ。なぜ、蓋が無い?
蓋をすることを忘れたかも知れぬ自分が嫌になる。
しっかりと閉めなかったかも知れぬ自分が嫌になる。
メモが無い。
昨日、書いたメモが無い。
紙屑を捨てる籠をかき混ぜてみたが、捨ててはいないらしい。
冷蔵庫の扉にマグネットで留めてもいない。
たて続きの紛失に滅入る。
「お前たちもこの年になったら分かるだろう」、
父親が、情けなさそうにも、腹立たしそうにも言っていた情景を思い出す。

松枯れ

生家は今、無人になっている。
ぐるりと家を囲む塀の上に高々と槙、楓、松、梅…の古木がそびえている。
先年、塀の中の一本の松が枯れた。
庭の中心にドッカリと根付き、枝は塀の上を這い、門先へと伸びていた。伸びた枝には支え木が当てられていた。
この家に育った何世代ものこどもたちが、幹に登り、枝を渡り、枝から吊った縄のブランコをこぎ、大きな幹の陰に隠れて遊んだ。
植木屋さん、樹木医さんの手当ての甲斐なく、だんだんと緑の松葉が茶色になっていった。
家を守っていた人は、次第に緑色が褪せ、茶色になっていく大木を毎日、目にしなければならず、つらい、なさけない、なんとかならんか?と嘆いていたが、ある日、ついに切り倒すことになった。
家のシンボル、目印でもあった大木が消えると、生家はなんだかわびしい佇まいとなった。
つらい、なさけないと嘆いていた人は高齢となり、不便な山里を離れ、こどもたちの暮らす街へ移って行った。
大きな存在であった松は無くなったが、槙や楓の古木が健在で、住む人のいない家の庭で、葉に花に四季の移ろいを見せている。
家の周囲では、山椒、栗、柿、枇杷などの木々が手入れもされぬままに、花を咲かせ、実をつける。
春には山椒の新芽や蕗を摘みに、秋には柿や栗をもぎに行く。
この前の嵐の後、様子を見に出かけたら、栗の大きな枝が緑のイガをつけたままボキリと折れていた。
それでもいくらかは収穫できるだろうか、と頃合いをみて行ってみた。
残った枝についていたイガがはじけて飛んだ栗の実が、幸い、猪に食い荒らされることもなく、散らばっていた。
ツヤツヤの実もあれば、色褪せたのや黒ずんだのもあるのは、昨日、一昨日、もっと前に落ちたものだろう。
少し口を開けて転がっているイガ栗は、両足で挟んで口を拡げ、ハサミで実をつかみ出す。
いつだったか、テレビで、イガの中の実をどうやって取り出すか?通行人に試みさせていた。
台の上に並べられたハンマーやナイフを手にする人がいた。

向かいの山際から煙がたちのぼっている。栗のイガを焚いているのだろうか?
ハテ?誰だろうな~。この集落の老人だったら顔も名前も知っているけれど。
散乱したイガを集めて焚いていた老いた人の背中を思い出す。
バサリ!意外に大きな音をたててイガ栗が落ちた。