月別アーカイブ: 2014年9月

この秋、初めての…。

ことちゃん家のおじいちゃんが世話をされている栗が届いた。毎年、ちょうど良い実りの頃に届けてくださる。
ピカピカ艶よく光った大きな粒である。
まあ、うれしい。
さあ、大変。
台所の流し台とガス台のそばに延々と居続けることになる。
しんどいな~、めんどうだな~、でもやらねば、な~。
待っていてくれる人がいる。おいしいとほめてくれる人もいる。
ほめられて幸せ気分になる。
待っているといわれて、ちょっと鼻が高くなっている?
期待に応えねばならぬ。
訪問者があれば、問われもしないのに、これから渋皮煮を作らねば…と自らしゃべっている。
ガス台のそばを離れるわけにはいかないけれど、鍋のなかをかき回すわけでなし、たびたび味見をしては微調整をするわけでもない。
コトコトトロトロの火加減を見ながら、炎が立ち消えしないよう気を付けているだけ。
本を読んだり、こんなふうにちょこっと書いたりしながら、栗がほどよく煮えるのを待っている。
今秋、初めての渋皮煮作りである。
完成したら、第一番めの届け先はもう決まっている。
さて、思う味に仕上がれば良いが―。
いままだ作業は、道半ばである。

ちょっとそこまで

「良いおひよりで…」
「どちらまで?」
「ちょっとそこまで」
おとなたちはいつもそんな会話を交わしていた。
帰り道では、
「良いお天気でしたな―」
「どこへでした?」
「はあ、ちょっとそこまで」
「それはそれは、ごくろうさんでした」
片や、田んぼで鍬の柄に両手を重ねて背中を伸ばしながら、片や、道脇に歩みを緩めながら、ことばを交わし、笑顔で別れるのである。
人の姿を認めながら黙って通り過ぎることはできない。
立ち止まって長話になれば互いのためにはならない。
「どこへ?」と問うて、「ちょっとそこまで」。
具体的な質問などはない。重ねて詳しく問いもしない。
円滑な人づきあいのマナーであった。

この頃は、田畑に出ている人影を見ることが少ない。
休日、大きな機械に乗り込んだ人が寡黙に働いている。
また、歩いてバス停に向かう人もいない。
家の庭から車である。
どこへ?と尋ね、そこまで!と答える情景はない。

ただ、最近、人と出会えば、「良いお天気ですね~」、「よく降りますね~」と口にしている自分に気付く。一番平和な会話なのかも知れない。
本日も空が青い。風がひんやりと心地よい。

早い者勝ち?

裏山の一角がすごいことになっている。
ギボウシ、アジサイなどのまだ小さいのを大小の石で囲んでいるが、中でも大きな四角い石が2つ、変な場所に移動し、変な方向を向いている。
石で囲んでいたところは耕されたようになっていて、ギボウシもアジサイも、倒れ、破れ、壊れている。
傍らの、山へと続く道は、この前の大雨の際には川のように水が走ったが、後の荒れようよりもいっそう乱雑なことになっている。
そこかしこ、ボコンボコンと穴があき、ズリズリと地面をえぐって行ったような跡がある。
これまでの例から、たぶん、猪の仕業であろう。
3週間ほど前、台所の窓から見た大きな尻、頭を草むらに突っ込んでモゾモゾとやっていた、あの猪かも知れぬ。
1本だけの栗の木の栗もそろそろ落ちる頃―。
古い木で、次々と枝が枯れては落ちている。
手入れもせず、いくらも実をつけないが、今年はいくつ落ちるだろうかと待っている。
猪に食い散らされては、面白くない。
カサリとイガが落ちる音を聞いたら、サッと走り出て栗を拾わねばならぬ。