月別アーカイブ: 2014年2月

成長

1年あまり前からこどもたちと作文ごっこをしている。
いちおう教室と言っているが、教えるというより、ごっこである。格別の教材もない。
文章よりも絵を描きたい日もあるようで、それはそれで楽しいひとときを過ごせているようなので自由にさせている。
教室を始めた時点では、幼稚園児、1年生、2年生という顔ぶれであった。
幼稚園児の字は、し、も、うなどの字がひっくり返っていた。濁点は左肩に付いていた。
ね、む、なんて字はむずかしかったねー。
いつのまにか、わたしは、と、わとはの区別がちゃんとできるようになり、ひっくり返る字も無くなっていった。
学校での毎日の勉強の積み重ねこそが、幼児に字を、ことばを習得させてきた。
1週間たてばこどもたちは成長をしている。
わたしは、毎週、毎週、感心し、ほめている。
もともと書くことが嫌いではなかったこどもたちなのだろう。
わが家に駆け込んでくるなり、迷うことなくすぐにノートを開いて書き始める。
ときには、「 あー、何を書こう…」と悩んでいる。なんだか字が乱暴な日がある。
この1週間の間に、心乱れるようなことがあったのだろうか、と気になったりもする。

フェスティバル

各地に大雪。
7時半、この冬、初めての雪かきをした。
わが家から広い道路へとつながる山道の雪をかく。頭に身体に雪を積もらせながら、厚さ20㎝の雪をスコップで押しのける。
道はわずか数メートルなのに、疲れた。
雪をよいことに一日中、一歩も外へ出ぬ日にしたいが、約束があった。わが家での作文教室に通ってくるこどもたちの発表会がある。「 今田小フェスティバル 」という。
台本も見せてくれた。ぜひとも晴れ舞台を見に行かねばならぬ。そのためにも雪をかいた。
8時半、しんしんと降る雪の中、ゴム長靴を履き傘をさして出た。幸いわたしの家から小学校まではお隣さんの近さである。
とろとろ運転の車が小学校をめざして進んでいる。おとうさん、おかあさんたちであろう。
小学校は創立140年。
わたしも父も母も、この町(村)で生まれた人のほとんどが通った小学校である。
わたしが通ったのは、もう半世紀以上も前のこと。およそ4㎞の通学路であった。生まれ育った集落は、この先行き止まりという谷にあった。
戸数30の集落のこどもたちは、毎朝、公民館の前に集まってから並んで登校していた。
雪の朝は父、母たちが広い国道まで雪をかきのけて一筋の道を作ってくれた。
いま、わたしの育った集落のこどもたちはスクールバスで通学している。小学生は2人だと聞いている。小学校全体では156人、各学年1クラスと資料にある。
あの頃、教室には40人以上ものこどもたちがざわざわひしめいていて、学年によっては3クラスあった。学芸会が別棟の講堂で行われた。
雪の日の今田小フェスティバル、会場は教室と同じ棟の中の多目的ホール。
1年生のことちゃん、いろはちゃん。しっかりとせりふが言えた。頭に着けたお月さまの冠がキラキラと照明に輝いていた。赤い着物もかわいかった。
3年生のたかあきくん、じょうなくん。大きな声でせりふを言い、すぐに笛を持って演奏し…、劇あり、歌あり、楽器あり、一人何役もの大活躍だった。
わが家に小さなこどもはいないが、このところ、保育園で、小学校で、グランドを駆ける姿、舞台での熱演を楽しませてもらっている。

立春なのに

二、三日暖かい日が続いていたが、立春をはさんでこのところ、凍てつき、終日雪が舞っている。
とはいっても、ときどきは淡い陽射しもあるので雪も溶けるが、木の陰、北の屋根にはいつまでも雪が残って固まっている。踏めばガサゴソ、バリバリと鳴る。
暮らす家は、朝の室内温度2度。灯油のストーブを点けても部屋はなかなか暖まらない。
もう半世紀、それ以上も前のこと。
生まれ育った家は、茅葺き屋根の下に土間が続き、一番奥の土間にはおくどさん、流し台、ゴエモンブロの焚き口があり、広い板の間に囲炉裏があった。
囲炉裏の周りは木屑や枯れ葉、灰だらけだった。囲炉裏の上に天井は無くて、梁は煤で真っ黒、煤はバラバラ落ちてきた。
炉の縁は暖かかった。
囲炉裏とおくどさんと風呂の焚き口に薪がくべられたときは、火照る熱さだった。
けれど、風呂もおくどさんも、囲炉裏も、おとながいなければ燃やされず、昼間の家の中は寒々としていた。
おとなたちは冬の日は柴や薪を作りに山に行った。
分け山というのがあって、村の共有林をくじ引きか何かで分けて、それぞれの家の燃料を切り倒したり束ねたりしていた。同じ時期に作業をするので、おとなたちの社交の場でもあったようだ。
親が山にいることがわかっているので、こどもたちも学校から帰ったら山へ行く。
鎌や斧を上げ下げする親のそばに近づけば叱られる。少し離れて、木の枝を折り曲げ、よじ登り、ユッサユッサと揺らして遊ぶ。少しは体が暖かくなる。
夕飯の支度、風呂も沸かさねばならぬ。山の仕事を早めにきりあげ、枝を引きずり柴を背に負い、家路につく。こどもの背にも小さな柴の束がくくりつけてある。
帰ればおくどさんの前で暖まれる。
あの頃ー、雪も降り、積もる日もたびたびあった。ON、OFFで暖かくなる暖房器具は無かった。
おとながいなければ、家の中に”火”もなかった。
こどもたちは缶けり、追いかけっこをして暖まっていた。
夕飯の支度、風呂わかしが始まって、畑の向こうの家の煙突から煙が見え出したら、遊んでいたこどもたちはひとりひとり帰っていく。
育った家は座敷と土間を仕切る戸も障子も無い家だった。当時の農村の家の間取りは同じようなものだっただろう。
家族で夕飯を囲み、風呂も済ませ、布団の中の小さな炬燵に火だねを入れれば、あとは家中の火を落として床に就く。
翌朝、目覚めれば、たてつけの歪んだ障子の隙き間から吹き込んだ雪が畳にキラキラと光っていた。
前栽と寝間との隔ては紙障子だけだった。
現在のわが家もまた、隙き間が多くて、戸外と室温がたいして変わらぬ寒さである。ボタンを押せば瞬時に点火し、一気に暖かくなるという快適さには程遠い暮らしかたをしているが、ふるえながら細かく柴を折り、上手に薪を組んで燃やしつける工夫もいらない。
これで充分、充分。