月別アーカイブ: 2013年12月

キセンボー

サカトンブリなんていうことばを何十年ぶりかに聞いて懐かしかった。てっきり、この地方独特の方言だと思っていたが、ちゃんと広辞苑に出ていた。
では、では、「 サンコにしとります。のサンコはどうだ?」、「 キセンボーはどうだ?」思いつくままの声があがった。
「 サンコにしなさんな 」と叱られた。キセンボーを振り回して少年たちはチャンバラをしていた。
そういえば、ウチの家はサンコなものだった、となつかしい情景が思い出されて頬がゆるむ。サンコは散らかるの意味である。
山道を友人と歩いていたとき、友人が「 どこかに手頃なキセンボーが落ちてないかしらん 」とつぶやいた。
えっ?キセンボー?そうそうキセンボー。手頃なキセンボー、同年輩の者にはどれぐらいのものか何となく解る。杖にする枝を探しているのだ。
何でキセンボーなのか?キは機、センは先、ボーは棒、つまり機先を制する棒=先手を打つ棒なのだと説明する人がいた。それほど大層な意味だろうか。
チャンバラは先制攻撃が大事、上等のキセンボーが要るのか?
山道を歩けば、目の前に蛇がトグロを巻いていることもある。頭上にはトゲのある枝が覆い被さってくることもある。そんなときに先手を打って振り舞わすからキセンボーなのか?
サンコは広辞苑では見つからなかった。
三五は当てはまらぬか?三々五々は?まばら、という意味。サンコはまばらではないなあ。
でもしかし、サカトンブリが歌舞伎のトンボを切るにも通じるように、キセンボーは機先を制する。サンコは三々五々。
ちゃんとした由緒正しいことばなのかも知れないなあ。

モノの住所

人の名前が思い出せない。
現に目の前におられてこうして話しているのに、あなたはどなたでした?と問うわけにもいかない。
ひとしきり話して、じゃあ…と別れたとたんに思い出すこともあれば、いっこうに思い出せず、ああもどかしい。
食器棚を開けて、あれ?何を出すつもりだったか。
いろんなものをしょっちゅう探している。探しながら、何を探しているのか分からなくなる。
ついに来たのか?いやいや、もうずいぶん前からの症状である。
探し物ばっかりで、とこぼすわたしの所へ整理整頓の上手な友人がアドバイスをしに来てくれた。
次々に出てくるハサミやホッチキスなどの文具をひとまとめにしながら、
「マエナカさん、モノにはそれぞれに住所があります。ハサミもホッチキスも、使い終わったら元あったところに返しておけば行方不明にはなりません」
ピシリと言い渡された。
モノには住所…と自分に言い聞かせながら過ごす日々が続いたが、やっぱり、メガネは? 住所録は? と部屋をうろうろ、机に積み上げた新聞、文庫本、メモなどを右へ左へ。
ある日、「 腕時計が冷蔵庫から出てきた 」と片付けじょうずな友人から電話がかかってきた。

電話

松本清張を読んでいた。
昭和40年頃の東京の家庭の場面。
玄関を上がって廊下の隅の台に電話が載っている、とある。
当時、電話はまだどこの家にもあるわけではなかった。親戚の家、知人の家、あるいはテレビや映画の中でも、電話は玄関の靴箱の上や専用の電話台の上、応接間のような部屋にあった。
家族が集まる茶の間や台所にあれば便利だろうに、ちょっと自慢気に玄関などに置かれていたのだろうか?
わが家の電話は、わざわざ土足に履き替えねばならぬ土間の壁際にあった。
戸数30戸の集落の中で電話があったのは、たぶんわが家ともう一軒ぐらいだったので、近所の人が電話をつかわせてほしいと来られたときに土間なら便利であった。
ときおり、電話を貸してくださいとちょっとした手土産など持って来られるおばさんは、電話口で格別良い声で話しておられた。いつものしゃべり声とは違う声の高さであった。
半世紀前ののどかな情景が思い浮かんでくる。
電話は、ポケットやバッグの中にはなかった時代。