月別アーカイブ: 2013年6月

もしもし…!?

ジリジリと電話。出ると切れる。
しばらくしてまた呼び出し音。
すぐに受話器をあげたけれど、無言。
いたずら電話か?昼ひなかから。
ジリジリン…
今度は、出るとすぐに話し中のツーツー音。
電話がかかってくる予定もあったので、いたずら電話に違いないと無視する訳にもいかぬ。
やっと相手の声をつかまえることができた。
「何回かけてもすぐに切れてしまって…、話し中にもなったり。どうかした?何かあった?」
心配してくれる友人の声。どうやらわが家の固定電話は故障のようだ。
念のため、こちらからかけてみるとこれは問題なし。友人はすぐに電話に出てくれた。
結局、NTTさんに来てもらうことになった。
「戸外の故障については無料です。電話機の故障は有料です」とあらかじめ言い渡された。
雨の中やってきたNTTの人は、ずぶ濡れになりながら点検。故障発生の箇所もわかった。
濡れて滑る屋根の上での作業は難しいということで、出直しての作業になった。
翌日はなんとか晴れ間も出た。
作業の人も増えて、無事に終了。無料であった。
電話も回復、さて、2、3の用事もある。出かけようとしたら、ブルルともシュルルとも言わない。
あ~あ、今度は車の故障。
雨漏りのしみが広がっている家、電話、車、そしてライトをつけっぱなしにしていたことに一晩中気付かなかった自分。
肩や足腰が痛かったり重かったりの今日この頃。消費期限切れ、です。どれもこれも。

うっとおしいけれど

うっとおしいけれど紫陽花が咲き
うっとおしいけれどあざみも咲いて
うっとおしいけれど蛍がゆらり。
あっ、ウリボウが三頭
しとしと雨のなかを
右手の山から左手の川へと駆けていった。
うっとおしいけれど
緑が美しい季節は
今が一番。
ピンポン
さくらんぼが届いた。

さすが、です。

まだまだ一面枯れ草の中からようやく草が頭を持ち上げ出した頃、春の陽射しに誘われて、草刈りなどしてみようかの気分。
鎌ならぬ枝切り鋏を持ち出して、バシャンバシャンとやっていた。
鎌を貸しましょうか?と心配されながら、笑われながら、草を刈っていた。
両腕が痛くなり、足腰の具合がおぼつかなくなる頃に作業をきりあげて家に入ると、ほぼ1時間ほどたっている。たまに半時間ほど超過していると、疲れがなかなか抜けなくて、その日はだらだらグータラ過ごすことになる。
気まぐれな作業はそれでも何回か続けることができたが、草の育つスピード、勢いはめざましく、とくに、あちらこちらに刈り残し、緑の離れ小島のような風情となっていたところは、いまや島の形も成さず、1mもの茅や蓬の生い茂る密林状態。暑さも暑し、密生した草を見ればいっそう暑苦しい。
「気まぐれに草刈りをしたので虎刈り状態になっているのですが…」
いつものFさんに、きれいにしていただくようお願いに行った。Fさんには、枯れ草が青々としてきた頃とお盆を迎える頃に毎年、草刈りをお願いしている。
「今年は、がんばって草刈りをしておられるなーと見ていました」と言われた。
翌日、さっそくに肩からベルトで草刈り機械を下げエンジン音を響かせて草刈りが始まった。
たちまちに草が舞い上がり飛び散る。わたしよりもずうっと年長だけれど、軽々とすいすいと草が刈り取られていく。
Fさんの仕事はていねいで、山椒やもみじ、椿などのまわりは鎌で草を刈り取り、高速で回る機械の刃が傷つけないように心配りをしてくださる。
以前にお願いした人は、たまたま見物していたときに紫陽花の枝を刈り飛ばしてしまった。隣家から枝を差し伸ばしていた紫陽花だった。
「また伸びます」。
確かに、花が終われば次々に枝を切り取る。けどなー。スマン、つい。とでも言ってくれぬものか…。
隣家にお詫びに行った。「また伸びます」と笑って許してくださった。
Fさんの草刈り作業は3時間ほどで終了した。
何日も何時間も草刈りをしたけれど、初めの頃に刈り取ったところからまた草が伸び始め、あたり一面がきれいに刈り取られているという状況にはついぞならなかった。
それが、さすがです。
ひょろひょろ立ち上がっている茅も蓬も見当たらず、もみじの枝葉がのびやかに広がり、緑がひときわ鮮やかに見える。
生い茂る草は暑苦しいが、短く刈られた草地に大きな枝を広げたもみじは涼しい木陰を作る。
刈って散らばったままになっていた草がFさんの軽トラックに積み込まれ運ばれていった。Fさんの畑のトマトや茄子の根元に敷かれて日照りを防ぎ、やがては肥料にもなるのだそうだ。
Fさんの野菜をたびたびいただく。
掃いたようにきれいになったわが家の草地。刈られた草は肥料となり、育った野菜をいただいて、なんと幸せ、幸せ。

スッキリ

玄関扉に苺の入った袋を掛けておいてくださった方がわかった。
あれからもう、1週間もたって、苺食べた?の電話もかからず、いったいどなたかの見当がつかず、どなたかわかりましたか?と尋ねてくださるひともあり、モヤモヤとしたままであった。
「ブログに書いてあった苺、うちのマミが掛けたそうです」
ご近所の若いダンナさんからのメール。
ええーっ、苺のことがあって後、ご夫婦と出会っているのに… 。マミさんから苺についてはひとことも出なかった。あ、そういうわたしも、そのときは苺のあれこれの事情を話さなかった。
ブログに書いたことがご夫婦の間の話題にのぼって、初めて、それはわたし、となったらしい。
ありがとう。ごちそうさまでした。
スッキリしたー。

三年もの

ほんわりと口中に香りがひろがる。ちょっと渋味もある。なんだかなつかしい味。三年ものを味わっている。
三年熟成させた古酒ではない。味噌でもない。
できたばかりの新茶である。
小学三年生が製茶をしたもの。なるほど、三年生のもの、三年もののネーミングや良し、である。
地域の方々のサポートをいただいて、三年生のこどもたちが茶葉を摘み、蒸して、揉んで、乾燥させて作り上げた。
蒸しあがった熱い葉を揉む小さな手を思いながら、遠い日の茅葺き屋根の下に広がるお茶の光景を思い出した。
半世紀以上も前のことになる。
どの家でも、米も野菜も作っていた。味噌もお茶も自家製だった。
茶畑というほどではなくても茶の木はあちらこちらに植えられていた。
春、木々が芽吹き始めると、山椒の新芽を摘み、蕨、ぜんまい、筍、蕗…、次々と摘まねばならぬ、収穫しなければならぬものが芽を出し頭を出し、おかあさんたちは忙しい。誘い合わせて山蕗を摘みに行かなければならない。
お茶作りもそんななかのひと仕事だった。
庭に広げたムシロの上に、蒸し上げた茶葉を揉んで広げて天日に干していた。
じゃまになる、と追い払われて、縁側から足をぶらぶらさせながら見ているだけだったわたしが思い出すお茶作りの手順はまちがっているかもしれない。
干して広げて、また揉んで広げて、干すを何度も繰り返していたような…。
井戸水を沸かしたヤカンに直接ひとつかみの茶葉を入れる。お茶の香りがたちまち広がる。湯のみに注がれたお茶は、こどもにもおいしい味だった。
育った村にはお菓子やジュースを売る店は無かった。だからというわけでもないだろうが、おかあちゃんが作るお茶はおいしかった。
自動販売機に各種のお茶が並ぶ。当初は、なぜお茶や水を売るのか、と反発も覚えたが、出掛け先ではいつのまにやら、お茶を買い、水を買うようになっている。
“三年もの“の湯気に香りに、喉ごしに、なつかしい光景がよみがえった。