月別アーカイブ: 2013年4月

花見

小学生だったころ、戸数30の集落の中で車を持っている家は1軒だけだった。山の仕事をしている家で、車は三輪車であった。
花見に行こうとのお誘いがあった。都合のつく人は誰でもという呼びかけであった。
なにしろ、この先は行き止まりの集落である。どの家も濃い強いつながりがある。親しいとか、仲がよい悪いなどは関係がない。
三輪車の荷台に乗り込んで行こうということになっていた。
隣町の大きな湖のほとりの桜が見頃になるころ、近隣から花見客が繰り出してくるということは知っていた。
行ってきた人たちの土産話を聞くばかりの母は、毎年、行きたそうにしていた。
母もわたしも、湖の桜を村の人たちといっしょに見に行ったことはなかった。
「車の荷台に乗り込んでわざわざ遠くまで花見に行かんでも、ここから見える桜がよっぽどきれい」だと父親がいつも言うので、母は参加しにくかったようだ。
わたしは、父親53歳のときのこどもである。父と母とは30余も年の差があった。
若い母は、三輪車の荷台に村の人たちと乗り合わせて花見というイベントに参加したかったのだろう。
小学生のわたしも、湖のほとりにおおぜいの人が繰り出して、花の下でお弁当をひろげている楽しげな光景を重い描いては、悔しかったり悲しかったりしたものだ。
今ならわかる。あのころの父親の年齢と同じ年代となった今、四斗谷の桜がきれいだとわかる。
花の下で弁当をひろげる人たちもいない。土ぼこりも喧騒もない。うぐいすが歌い、時おり、自家用車が出たり入ったりしている。
そんな桜が見られることが幸せと思っている。

四斗谷

四斗谷へ入った。
四斗谷は生まれ育った地である。昔、年貢米が定められていたころ、こんな谷の田畑からは四斗だと殿様が定められたので、村の名前も四斗谷となったとかなんとか聞いたことがある。
四斗という年貢が重いか軽いか知らない。
ヨントタニ?シトタニ?としばしば問い直されたものだ。
シトダニと言うのがまあ正しいかな?この先は抜けられません行き止まりの谷間に23戸、人びとが暮らしている。
わたしが小学生だったころは30戸はあった。
こどもたちは男女それぞれに列を作っておよそ4キロの道のりを集団登校していた。
いまは男女あわせても3人とか聞いた。
高校卒業まで四斗谷に暮らした。
大学は、通えぬこともなかったが下宿生活をさせてもらった。就職、結婚、子育てをしながら仕事も続けた。
子どもが大学生になるのを機にふるさとへと戻った。
わけあって生まれ育った四斗谷から4キロほどのところへ。かつて集団登校した学校の近くに暮らすことになった。
ときどき四斗谷へ行く。
国道からそれて一本道で約1.5キロ。対向車にも逢わず前にも後ろにも車は走っていない。歩く人も自転車も見ない。田畑に人影もない。
昔は、春めいてくると道沿いの田んぼにもその向こうの畑にも鍬や鎌を動かす人がいた。小さなこどもたちが土手で遊んでいた。
だれにも逢わない道を走りながら、きれい、キレイと声が出る。
今年の春は開花が早くて、コブシも桜ももう散り急ぐ風情である。散り残った花がはらはらひらひらと風に舞いフロントガラスに貼り付いたかと思う間に、また吹き飛んでいく。
今は若葉、新芽が息吹く季節。
ひとこと、新緑などというけれど、とてもひとことで言い表せる光景ではない。
芽吹きの色は、白、赤、紫、黄色、黄緑、それらの色がもこりもこりと膨らんでいるようで、もあんと色が霞んでいる。
何色と言い表し難い春の情景の中にいることができる幸せを思う。しかもひとりで存分に。
誰と逢うこともないまま四斗谷をゆっくり、ぐるりとまわって国道へと戻った。

春の味

小さな家の前に草地がある。少しずつ春めいてきた日々、草を刈った。
茅やよもぎや野菊の立ち枯れが一面を覆っていたのを刈ろうとした。
陽射しも春めいて、家の中よりも外の方が暖かくなってきたころのことである。
草刈りはいつも、もっと青々と繁ってくるとお願いをして刈り取ってもらっている。草刈り機械で2時間ほどやってもらえばすっきりときれいになる。
凍てつく毎日に冬眠状態で過ごしていて、ふいと草刈りなどしてみようかという気分になった。
以前にはあったはずの草刈り鎌が見つからず、枝を切る鋏があるばかり。
しゃがんで両手でガシャガシャと切る。けっこうな重さがあるが枯れた茅が刈り取れるのは気分がよい。
通りがかった隣人が珍しいこともあるものだと立ち止まり、草を刈るには道具が違うとのご忠告である。
鎌を貸そうとのご親切をお断りしたが、きっと隣人はまた別の隣人に、笑いながら重い枝切り鋏で草刈りをしていたと告げているだろう。
親切なお隣さんたちのどなたかが、やがて草刈り鎌を届けてくださらぬうちに草刈りをきりあげて、家の中へと退散したのでありました。

天気の良い日は、あいかわらず重い枝切り鋏をさげて出て、しばらくの時間、枯れた茅やらよもぎを刈った。
肩や腕が痛くなると作業を終えた。いつもほぼ1時間の作業時間であった。
1週間も過ぎたころ草地はあらかたきれいになった。
計画も立てず、あちらからこちらから、なるべく通りがかりの隣人の目にふれないような位置を選んで刈っていたら、なんだか2ヶ所、離れ小島のような刈り残しができた。
陽気が進んで草を刈るには暑くなった。

きれいになった草地はどんどん緑が拡がって、ワラビが出始めた。まだ小さなワラビを摘んでゆがいて、出し醤油と花かつおたっぷりかけて食べた。
つくし、ワラビ、これから蕗も出てくる。

今、です。

今年はいつもの年よりも春がずいぶん早くにやって来て、もうお花見も済んだ花が散ったの便りも届くけれど、
この里はちょうど今が春満開。
山には白い花が点々とまきちらしたように拡がっているし、川辺の桜も咲きそろった。
川堤にはタンポポ、つくし、ヒメオドリコソウもびっしりと
お日さまに顔を持上げている。
うぐいすも、それはそれは歌声上手になった。
里の春は今、盛ん。