作成者別アーカイブ: 前中 和子

わたしの場合

dav

そのとき、告げる方がいいか?と知人に言われた。
言動があやしくなってきたとき、もの忘れがたびたびになってきたとき、
この頃ヘンだと忠告してほしいか、見守っているのが良いか?と。
どうだろうなぁ……。
「この頃おかしいよ、と教えてもらいたい」と答えた。
もうすでに始まっているのかも知れない。
あれ、それ、あそこ、どこへいった?ここにあったのに……は、しょっちゅうだから。

出てくる。

dav

ごめん、と言いながら木の枝で蜘蛛の巣を払う。タオルが干せない。
そっちはダメ、と蟻の行列に水をかける。家の中に入って行きそうだから。
頼むから退いて、と念じながらポイポイと石ころを投げつける。ぶつけるわけではない。
車1台が通れるだけの道を蛇が長々とふさいでいる。
若葉がきらめき、まぶしい季節。
蟻や蜘蛛や蛇もトカゲも……。出てくる。出てくる。

終わりかた

dav

椿の花を箒でつつく。
乱暴なことを、と眉をひそめられたが、同様のことをする、と言う人もいる。
椿の花がポトリと落ちる。潔いとも、不吉とも言われる。
色褪せてもなかなか落ちない花がある。
落ちたけれども木の股に挟まったまま茶色くなっている花もある。
艶やかに、絢爛と咲き継いだ花が、ゆっくりと朽ちていくさまは何とも無惨。
だからもう、チョンチョンとつついて落としてやるのですよ、とうなずきあう。

新学期

dav

新学期が始まって2週間。
今年はずいぶん長く咲き続けた桜の下を児童たちが登下校して行った。
わが家の前は四叉路。下の道から、左の道から、集落ごとのグループがやって来る。
横断歩道を渡るときは、駐在所のおまわりさんが安全を確かめて誘導している。
駐在さんも、この春、この町に家族で赴任してきた新人さんである。
下の道からやって来るグループの中に、1年生のちいちゃんが、大きめの黄色い帽子を傾かせて、うつむきかげんに歩いている。
何かと声をかけたがる近所のばあさんが、道端の椿の木の下に立っている。大声で呼び掛けられたらイヤだなぁ、なんて思っているのかなぁ?そっと見ているつもりだけれど。
週末の朝、ちいちゃんの右手が腰のあたりで小さくヒラヒラとしたような……。
「おはよう」の合図だったかな?

満開

dav

例年より1週間も早く咲いたー、日記帳の日付は昨年の3月24日。
山の白い花の開花はいつも3月の終わり頃。山肌にポツンと白いものを見つけたと思う内、翌日にはパラパラと、その後にはまるで白いハンカチを撒き散らしたように咲いて、ああ、やっと山里に春が来た、と思わせてくれる花である。ニオイコブシともタムシバとも呼ばれる。
今年は4月に入っても白いものは見つけられなかった。
まだ?なぜ?どうした?遅いねぇ!
待っていた。
ようやく、白い花を見つけたのは4月9日。日に日に広がっている。やれやれ。
4月に入ってから雪が降ったりで、寒い日が続き、桜が今も爛漫と咲いている。
モクレン、椿、ユキヤナギ……。土手には菜の花、タンポポ、オドリコソウ。
山桜も咲いた。三つ葉ツツジも咲き始めた。
山里に春、満開。

ヘチョ、ホ、ホ~?

dav

洗濯物を干していたら、チョットコイ、チョットコイとコジュケイが呼ぶ。
デデッポー、ポーポー、春だ春だ、良い天気だと山鳩も騒がしい。
ヘチョ、ホ、ホ、ホ~?などと調子っぱずれは、たぶんウグイス。
半月ほども前、もう少し上手な鳴き音を聴いたのだけれど……。
今朝のウグイスは何ともヘタクソ。まだ幼いか?
せいぜい練習しなければなぁ。
林の木々の新芽がふくらんで、ようやく春の気配になってきた。

かも知れぬ。

dav

山里暮らし、不思議なことがチョイチョイ起きる。
ちょっと来い!と激しく呼びかける鳥はコジュケイだと判明した。
勝手口の履き物がまたしても無くなるのは、キツネかタヌキがくわえて行くらしい。
もう飽きたのか、この頃、勝手口の履き物は無事である。
近ごろまた、判明しないことが起きている。
林の木を何本か伐採したとき、頃合いの寸法に裁断してもらって林の中に置いた。どっしりと安定感のある椅子ができた。
ある朝、1つが横倒しになっていた。
前夜、風が強かったので倒れたのだろうか?昨夏の大嵐にも倒れなかったのに……。
ヨイショと起こして立てた。倒れないようにゴリゴリとねじ込むように立てた。
あれから半月。
また倒れていた。
前夜は風も吹かぬ穏やかな夜だった。
家の周りには、夜な夜なシカの糞が落ちている。木の皮や枝をかじりとった痕もある。
イノシシがゴロンゴロンと転げ回った跡だと教えられた場所もある。
その角、その牙で押し倒したのかなア?
モグラが持ち上げたとか?
かも知れぬ。
そんな山里暮らしである。

咲いた。咲いた。

dav

「もう来ていますよ」とお隣さんは言われたが、わたしはようやく今日(3月13日)、鶯の声を聴いた。
林には白いアシビがあちらこちらに咲き、玄関前にはピンクのアシビが満開になった。
節分の頃に赤い唇をほんのポチりと突き出したまんま、蕾がさっぱり開かなかった椿が、ようやく、ようやく、咲いた。
海近くに暮らす人からイカナゴや茎ワカメを煮たのをいただいた。
春が来た。

にぎやかになって……。

dav

赤いのや青いのが点々と。車の屋根にも車体にも。
鳥の糞である。
林がにぎやかになって、糞が盛大に落ちて来るようになった。
サッと拭いたぐらいではとれない。ゴシゴシとこすり落とさねばならぬ。
落ちた糞から芽を出し、育つのだろう。家の周りには赤いマンリョウ、ナンテンなどが増えていく。
青い糞はジャノヒゲだろうか?
草むらの中の実はあまり目立たない。よくぞ見つけるものだなぁ。青い糞の素になりそうな実は他には無い。
銀色が好みなのか?車は糞だらけである。
近くの洗濯物は汚されず、出入りする私の頭上にも糞を落とされたことは、まだ無い。
家の周りの赤い実は、今日明日にも食べ尽くされるだろう。
毎年の情景である。

たたけば、たたくほど…?

dav

餅つきに誘われた。
というよりは、餅つきをすると聞いて、「丸めるの上手です」とアピールしたので、先方さまは「どうぞ」と言わざるを得なかったかも知れぬ。
餅をつくのは今はいずこも餅つき機である。
杵と臼は登場しないが、それでも餅つき好きである。
餅をつきたい訳ではない。
餅つきをする日、餅つきが行われる場所に満ちた幸せ感が懐かしい。
山里育ちである。
正月はもちろん、村のお宮の祭りの日にも、家族の誕生日にも、隣近所の祝いごとにも、杵と臼で餅をついた。
学生時代、下宿先から帰省したら、隣家から餡こがどっさりまぶされた餅が届いたりした。
何かというと餅つきがあった。
1度に2臼も3臼もつく。
1つは、小さくちぎって丸める。
1つは、小豆餡をからめる。
1つは、そのまま平らにのしておく。後日、薄く切ってムシロに並べて干し、かき餅を作る。
小さな丸餅を作るとき、冷めない内に手早く丸めなければ、シワのないきれいな餅にはならない。
つきたてを指でクニュッとちぎりとるのはヤケドしそうな熱さで、母の手は真っ赤になった。
ちぎられたアツアツの餅を父は左の手のひらに載せ、右の手のひらでパンッ!とたたいて丸めていった。
「餅とこどもの頭は、たたけばたたくほど良くなる、と言い伝えられている」と驚かせたり、笑わせたりした。
父の手もとを見よう見まね。わたしは餅を丸めるのが上手になった。パン、パンッとたたくのがコツである。

本日の餅つきは、お雛さまの菱餅作りのためであった。
「丸めるの上手です」というわたしの出番は無かったのに、心やさしい友人は、丸める分をとりよけてくれた。
「さすが、お上手」とほめられた餅をみやげにいただいて帰った。