花束

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隣家のことちゃんは小学1年生からピアノを習っている。
ことちゃんのお母さんが少女だった頃に習っていた先生のところへ、お母さんに送迎してもらって通ってきた。
ピアノを習い始めたことちゃんに約束した。
発表会にはお花を持って行くよ、と。
発表会は毎年12月初めの土曜日にある。
初めての年、バラの花を1本持って行った。
たった1本?と思っただろうなぁ。
翌年には2本、翌々年には3本、そして今年は6本持って行った。
白いカスミソウと一緒にまとめてもらったら、ちょっとした花束になった。
ことちゃんは来春には中学生になる。
小学校卒業を機にピアノも卒業するらしい。
10本、20本の花束を持って行く日を楽しみにしていたのだけれど……。

自惚れモミジ?

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わが家の1本のモミジ。30数年前に小さな木を買い求めて母と植えた。
今では高く大きく育って枝葉を広げ、築30有余年の朽ちた家を覆い隠してくれている。
ご近所の人が、あなたのお母さんのお葬式の日、紅葉がとてもきれいだった、と言ってくださる。
17年も前のことである。
晩年の母は家の周りを杖をついてトボトボと歩いていた。
木も花も、きれいきれいと誉めてやれば、きれいに丈夫に育つ、と言っていた。
母が亡くなった年齢に近づくにつれて母の口ぐせが思い出され、仕草が似てくる。
朝に夕に、杖をつきつつモミジを眺めに出ては、きれいきれいと賞賛している。
モミジはすっかり自惚れて、赤あかときれいになったのかなア?

紅葉の里

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めっちゃ山がきれいや~。
声は若いカップルの男性から。
山の麓の川の堤から中腹へ、頂へ……。
低くてなだらかな山々の紅葉景色が、小さな里を取り巻いている。
日用の品々を売る店が一軒も無い。
めっちゃきれいな紅葉の日々がある。

ノコノコと

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3ヵ月余り、冷暖房完備という日々であった。
11月のわが家は、もう凍てつく日も間近。心身ともに適応できるだろうか?と案じたが、幸い暖かい日が続いた。
日に日に紅葉景色が鮮やかになっていく。
葉が落ち、点々と残る熟柿が青空に映える。
玄関を開けたら柿が落ちていることがある。
柿の木は玄関の傍らには無い。風に飛ばされても玄関には届かないだろう。背の高い椿や桜の木が遮っている。
半分かじったような穴が空いた柿である。玄関まで運んだのは、もしかするとカラスかも知れない。枝でしょっちゅう、ギャーギャー騒いでいる。
車の運転にもなれてきた。
昨夜は峠で4頭の猪と出会った。
車に体当たりをされた、と友人がへこんだ車体を見せに来たことがあった。
ちょっとひるんだが、ライトの中を左手の山から出てきて、道路を渡って、右手の山へと入って行った。
小さいのも居た。家族だろうか?
お隣さんに話したら、わたしが出会ったのも4頭でした。家族かも知れませんね、とのこと。
チョットコイと呼ぶ鳥が居て、柿を届ける鳥?も居て、ノコノコと車の前を家族で横切る猪も居る……、
そんな暮らしが待っていた。

緊張

3ヵ月ぶりに車の運転をした。
買い物も温泉にもお連れしますよ、と隣人が声をかけてくださる。
自分でできるはず、と思いながら、買い物に、温泉にも、連れて行っていただいた。
久しぶりに運転席に座った。ちょっと緊張。
朝6時。
ライトを点けて走り出した。
対向車も後ろに続いて来る車も無いのに、スピードが出せない。
のろのろと走り、峠を越えて駅まで送る。
たった5分の道のりなのに、肩、腕がこわばった。
ともあれ、日常生活で自分でできることがだんだんと増えていく。

これから

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少~し、山々の紅葉が始まっていた。
11月4日、自宅に戻った日。
玄関脇の大きな檜の根元にツワブキが満開になっていた。
ツワブキの傍らにはマンリョウの実がだいぶん赤くなってきていた。
小さなヤブコウジも赤い実をつけている。
マンリョウは真冬に野鳥たちが実をついばみ、食べつくし、プイプイと糞を落とすものだから、
家の周りにたくさん育っている。
ナンテンもまだ真っ赤とは言えない実をびっしりとつけている。
1本のモミジの木がまばらに赤く染まっている。
モミジに押しのけられるようになりながら、サザンカがピンクの花をつけている。
わが家の周りの秋景色は、これからこれからきれいになる。

明後日

少し晴れかけたけれど、まだまだ濃い霧がある。
空には、輝かぬ白い太陽がペタンと貼り付いている。
わが家のあたりは、きっと、青空に太陽が輝いているのだろうなぁ。霧の降らない里である。
11月。そろそろ紅葉が始まっているだろう。
紅葉の名所も名木もないけれど、
山も川辺の土手もひとつながりになる、里全体の紅葉景色が
優しくて、おだやかなやすらぎの時間をくれる。
あと2日、わが家に帰る。

太陽の脚

湯を沸かし、野菜を刻み、卵を焼き……。慌ただしくもあり、満ち足りているようでもありのふだんの朝のひととき。
この頃は、朝陽の昇る景色を見ている。
今朝は山の上に灰色の雲がかかっていた。
雲と空の境界は橙色に縁どられ、橙色の縁どりから放射状に太陽の脚が伸びている。
出るぞ、昇るぞ、太陽神のお出ましだぞー!そんなふうだな、と今朝は見た。

日の出

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廊下の行き止まりに椅子が2つ。
毎朝晩、そこに座って話していた人たちが退院していかれた。
空いた椅子に座れば、向かいの山から太陽が昇ってくる。
まだ太陽が見えない頃は、山々の尾根の上あたりの雲は、柿色や橙色に染まっていた。
しばらく柿色の空を眺めているうちに太陽がのぞき始めた。
目をつむりたくなる眩しさがはじけ、光が広がって行く。一帯の柿色がだんだんとくすんできた。
太陽がスルリと山の端から抜け出たのは、10月29日6時37分であった。
日の出の瞬間を見守るなんてことはめったにない。
母は毎朝、自分流の体操をしながら日の出を迎えると、パンパンと手を打って、
ああ、お日さんはありがたい、と呟いていた。
あの頃の母親の年齢になっている。
体操もしなければなア。

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一筋、ひとかけらの雲も無かった青空に、すーっと白いものが現れて、綿菓子みたいになった。
それから……。そっと箸でさばかれたように広がっていった。
雲は湧くもの。雲は生まれるものなんだなア。
親羊と寄り添う子羊に見えていた雲が、ほんのしばらくしたら、ふわふわーっと千切れて、形が変わっていった。
なんだか、羊の刈り取られた毛がぽかりぽかりと浮かんでいる景色になった。

病室の窓から空を見上げている。